グーグルは人々に人類が蓄積してきた英知を万人に知らしめる神の役目を果たすべく登場した
グーグルの想定では人類は正しく、等しく、整然と、神の意志が示す道に導かれるハズだった。
しかし、神のビジネスを支える「ネット広告」は神の意思に反する企業も産み落とした。facebook、twitterを始めとするSNSがそれだ。
SNSは実に人間臭い存在だ。
徒党を組む、情報を囲い込む、扇動的な情報を流して人心を操縦しようとする、弱者を虐める、、これらは、人類の歴史をみれば「人間の持つ弱い側面」だ。
フェアな競争の結果を素直に受け入れたくないのが人間の偽らざる本性なのだ。
だからSNSはあっという間に世界を席巻した。
階層別、クラス別、カテゴリー別、数多くのSNSが雨後の筍のごとく生まれている。
それぞれが属するSNS、及びその内部に無数に存在する閉鎖されたグループを通じて人類が分断されるという事態が進行している。
多くの人々は、居心地の良いSNS、グループしか利用しない。
良薬は口に苦しのようなコメントを投げてくるようなSNSやグループからは脱出するか、そのような人をブロックする。
良薬は口に苦しのようなコメントを投げてくるようなSNSやグループからは脱出するか、そのような人をブロックする。
リアル社会ならブロックは完全ではないが、SNSのブロックは完璧だ。
ブロックされると言い訳や謝罪さえも伝えることすら不可能になる。
ブロックされると言い訳や謝罪さえも伝えることすら不可能になる。
これは、バベルの塔を作り始めた人類の言葉をバラバラにした神の行為のようだ。
21世紀においては、グーグルがバベルの塔を作り始めたら、SNSが人類をバラバラにしたということなのだが・・・・
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