2018年3月22日木曜日

このブログに関して

投資を実行する前に、知っておくこと、身に着けておくこと、態度、知識、スキル

社会経済ニュースや企業情報は、インプット・データ
そのデータを上手に解釈する、投資に役立つように解釈する

そういう視点で、このブログに種々雑多な事を書き残しておきたい


~~~~~~~~~~

シリーズ記事の目次

2016年8月:社会が育てる子供
2016年8月:中国の民主化
2016年5月:インフレと低金利
2016年4月~:春山ルール
2015年12月:2016年を考える
2015年9月:AI & Deep Learning
2015年8月:上海株式市場の冒頭&暴落
2015年7月:名古屋証券取引所IRフェスタ2015セミナー
2015年6月:地政学リスク



facebookコメントヘ

2016年8月31日水曜日

春山ルール : 目次

投資に関するルールは、作ろうと思って作れるものではない。
痛い思いを何回かして、「あー、こうしちゃイケナイノね」と徐々に思い知るものだ。
それは個人の性格や癖による部分も多いので、万人に共通ではないかもしれない。
小技みたいな領域のものから、そもそも論的な大きなものまで、雑多だ。

1.2Q連続でダメ決算、失望決算なら離脱する
2.6ケ月待て
3.PERは60倍が限度
4.パフォーマンスの足を引っ張るのは「後ろ髪」銘柄
5.不正を働いた企業には投資しない
6.べき論を排する
7.不調なら休む
8.現状を受け入れ、ゼロ・スタートする
9.自分の目標と競争しろ、他人と競争するな
10.何で儲けても百万円は百万円である
11.そういう事だったのね、株価は織り込み済み
12.変節点
13:失って初めて思い知る
14:気持ち悪くなったら脱出しろ
15:25%ルール
16:ペナルティはしっかりと受け入れる
17:計画通りに実行し続ける
18:飛び乗ったら、飛び降りろ
19:得意技で勝負しよう
20:金持ち喧嘩せずは相場のリズム
21:条件反射の「反対&disり」は損失への一本道
22:
23:


facebookコメントヘ

2016年8月22日月曜日

2016年8月は過去と違う、、7月29日の日銀政策決定会合が引き金だったかも

日銀の金融政策決定会合(7月29日)だが、株式のETFの買い入れ増額はあったが。Jリートの増額は無かった。

日銀の買い入れ金額と株式&Jリートの時価総額&売買代金を比較すれば、Jリートの購入は株式よりも相当インパクトがる高いレベルに既に上昇していた。これ以上の増額は短期的には好ましくないとの判断が働いただろう。
 
また、これまでの株式&Jリートの相場状況を見れば、堅調なJリートに対し軟調な株式市場という構図であり、限られた資金を投入するなら株式市場だという判断も加わったのだろう。



なお日銀の緩和余地に関する議論が多いが、春山は「市場が緩和に強欲になりすぎている」と思う。

さらには自助努力を放棄して日銀と政府に完全依存する雰囲気をも案じている。
良くない傾向だと思う。




株式市場は、既に昨年5月以降、「日銀と為替」を徐々に悪材料として織り込んで相場は大幅に下がってきた。多分、割高感は消えていると思う。



一方、券と為替は「円高&デフレ=債券安泰」という反応に終始してきたので、リスク(金利上昇と円下落)を感じている。8月になって金利は下げすぎの修正(上図)が始まっている。
なお、
Jリートだが、株式では無いという分類上の理由から、銀行などの金融機関が相当買い込んでいるので、上値はあまり期待できないと思う。

なお、8月に入って相場の水面下では変化が生じてきた。
Quantsでも、8月は過去と違う動きになっていると聞いている。
2016年8月は過去10年の中でも「何か違う」ことが起こっているらしい。
これは重要なサインだと思う。春山は、日本株は徐々に上がると推定している。
facebookコメントヘ
 

2016年8月21日日曜日

物と心の利害関係、政教分離

宗教が個人の心の中に押し込められたのは最近の事である。
少し前までは、宗教は生活の様々な部分と関係を持っていた。
冠婚葬祭から居住の可否、国王の選定までが、信じる宗教によって支配された。

その時代は宗教が物の利害関係に及んでいたので、宗教を変えることは頻繁に行われた。特に為政者は宗教を統治の手段として位置付けていたので、統治に有利な宗教への改宗が平気で行われた。

宗教が個人の心の中に閉じ込められる、つまり政教分離が欧米では近代化と認識された。

政教一致にこだわると、理不尽なこと、特に理不尽な戦争が多発して、国土の荒廃、人口の減少、経済の疲弊に直面したからだ。
理不尽な戦争の代表が30年戦争(1618~1648年)と言われている。

その詳細はウィキペディアのここにある。
きっかけは宗教だが、国民国家という新しい概念が宗教の呪縛から逃れようとする動き(特にフランス)と混然一体となって30年間もの消耗戦となったのだと、春山は解釈している。

( 30年戦争は、ボヘミアで始まった。その当時の様子 )

イスラム諸国は、程度の差こそあれ、いまだに政教一致を原則としている。
イランのように政教一致のイスラム国家で世界を統一する(=世界革命)運動を推進すべしという憲法を持つ国もある。
一方、エジプトのように比較的自由な雰囲気の国もある。

 

現在のイスラム諸国の国民は、全体としては政教分離を求めていないと解釈できる。
欧州の30年戦争みたいな何かをきっかけに、イスラム諸国の多数が政教分離を求めるようになるのかは、判定不能だ。
少なくともイスラム教の敬虔な信者は政教一致こそが正しく進歩した考え方だと信じている。

facebookコメントヘ

2016年8月17日水曜日

同じ無給でも、派遣と地元代表では

中国において帝国が地方を支配する際に中央から派遣される知事のような人は無給だったという本を読んだ。

地方に派遣されたら、その地方を経営して税金を徴収して中央に税金を送る
その際、地方経営費用は控除して良い。
だから控除の際に自分の給料をそこから捻出するし、私腹を肥やす場合だって・・・

それが中国に脈々と続く「腐敗&不正」の温床なのだろうと思っている。
そんな制度なら、古今東西どこだって、と思っていたら・・・

イングランドも地方のボスは無給だった
そして割と真面目だったみたい。

イングランド人は善人で、中国人が悪人、、というわけじゃないだろう。
下記の本の該当ページを読んで思ったことだが・・・

派遣された役人の場合、一定年限でその地を離れる。
離れた後のことは野となれ山となれ、責任がない。
だから、派遣期間中は収奪、不正、腐敗、なんでもあれに陥りやすい

一方、地元の実力者が地方の政治のトップになる場合は、下記の本に記載されているように、地元住民との長期的な良好な関係に留意することになる。

つまり、
同じ無給であっても、
派遣役人と地元代表では天と地ほどの差
が出るのだろう


この本は面白いです。
ヨーロッパ近世の開花 (世界の歴史 17) 



facebookコメントヘ

2016年8月16日火曜日

NVidia : AR、VRは、高性能GPUの需要を加速的に増加させる

前回の続きです

7月に出てきたポケモンGOは、さらにGPU需要を拡大させる




これまで、VR(Virtual Reality、仮想現実)とか、AR(Augmented Reality、拡張現実)とかは、ごく一部のマニア向けのものと思われていた。

しかし、ポケモンGO(←これはARです)によって、ARやVRは誰にでも親める身近なものだという理解が一気に進んだ。

ARやVRには高性能のGPUが必須だ。
それなしには、スムーズな画像描写が不可能なのだ。
だから、ARやVRが増えれば、高性能GPUの使用が大幅に増加する。

ポケモンGOは非常にシンプルなスマホ・ゲームだから、普通レベルのGPUで十分だ。

だが、今後増加が確実視されるアミューズメント・センターやPCや専用マシンでのAR&VRは、最高性能のGPUでなければ動かないと言われている。


ARやVRという技術を体験できる機会も増えてきた。
5月にサムソンのスマホであるギャラクシーを使ったVRの体験会(下写真のの左側)があったので、春山も行ってきた。

行く前と行った後では、VRに対する認識が大きく変わる。
体験すれば、これは素晴らしい! 
アミューズメント・パークに最適だ!

そういう確信が得られると思う。
   




また下は東京ジョイポリスで始まったVRゲームだ。 
知らずに、体験せずに、評価せずに、、まずは行ってみよう。
体験するに勝るものはないだろう




下の写真の上段 : 第三者が見たゲーム参加者の様子
下の写真の下段 : ゲーム参加者の見えている様子



facebookコメントヘ

信じる者だけが救われる : amazon & Salesforce.com

AMZNとCRMに共通するのは、個性の激しいCEOが会社を引っ張り続けていることだ。



ジェフ・ベゾスと
マーク・ベニオフという個性の強いCEOの強力なリーダーシップが会社の成長を支えている。
足元の利益よりも「ライバルが追いつけないように先に先に」という経営をすることも共通している。
そのための主たる戦略が
M&Aで、将来有望で今後の成長に必要なことを他社が先駆けて始めている場合は、買収によって成長を自社に取り込む果敢な戦略を続けており、その結果としての顧客数の増加は順調だ。


その結果現在の両社は、各々のビジネス領域においてワン・アンド・オンリー企業に到達しており、同業のライバルは多数存在する(業界としては、win&winでシェアの奪い合いには到達していないから)が、ライバル企業の規模は両社にはるかに及ばないという業界の巨人」だ。

amazon



salesforce.com




100倍以上の天文学的なPERからは随分と正常化してきたが、それでも普通の投資家は腰が引けるPER水準にある。
その意味では、信じる者だけが救われる。

ベゾス教、ベニオフ教を信じますか、あなたは?

facebookコメントヘ

2016年8月14日日曜日

社会が育てる子供_6

都市において、夫に先立たれた妻と子供の養育や、労働するにはハンディキャップを持った人間への援助などを、都市コミュニティの構成員が全員で担当するなどという合意は無い

手間暇拠出という強制的な制度もない。

集団就職時代以降は、すべては政府、自治体という公的な第三者が担当している。

子育てもそうだ

田舎のコミュニティにかつて存在した「見守り、管理監督、教育」という機能は、現代社会には全く存在しない。
その
すべては家族が手間暇かけるか、金を払って依頼するかになる。

コミュニティ構成員のお互いの手間暇が金銭負担に置き換わったのだ。

そうなると、
払った税金を取り戻すのが当然という権利意識が芽生え、社会に対する貢献や義務という考え方が後退した。

社会的保障のために集められた資金プール(年金基金、福祉予算など)に対して、「私は困っているのだから、金をもらいたい」という人が増加した。
原因が私の怠惰だとしても、私は現実に困窮しているのだ。
お前ら(=私以外のその他大勢)は、私を助ける義務がある。
私が十分に満足するためには、
適正以上だと思われるレベルの福祉が欲しいし、それを保障するのが税金を徴収しているお上だと考える人が激増した。
適度な福祉が、過剰な福祉に膨張したのだ。

子育てを社会に要求する側は、過剰な要求をするだろう。そして、その当人は他のコミュニティ構成員に手間暇を拠出することは拒否するだろう。
つまりは、過剰な要求をささえるために、過剰な税金が徴収されるだろう。
金は天から降ってこないのだから。

社会が育てる子供_5

育児の負担に少し遅れてやってきたのが、高齢化した両親の世話だ。
育児は小さな子供の世話、高齢化した両親は大きな子供の世話、ということになろう。
核家族化した現在の現役世代には、農業時代にはなかったようなダブルの負担が重くのしかかった。
その負担を軽減するために、かつての農業時代のように、社会が子供を育て、社会が高齢者の世話をする、という制度に回帰することを望むかもしれない。

社会とは何だろう?
現代社会は、「何か優しく、裕福で気前よく金を払ってくれる第三者的なモノ」ではない。

現代社会は、核家族の集合体だ。
現役世代全員が手間暇を拠出して協力し合うのが現代社会なのだ。
つまり、農業時代のように社会が世話をするとは、現役世代のあなたは世話をするという事なのだ。
それが成立する時には、夫婦共働きが当然だろうし、勤務形態も夫100%+妻0%という労働から、夫70%+妻60%という勤務時間になるだろう。(夫:9時~15時、妻:12時~17時というような)
所得は、100から130に増加するだろうが、共働きに付随する支出も増えるので、実質的な所得増加は約10だろうと思う。


社会に変わって子供と高齢者の世話を担当してくれる可能性があるのは、世話をビズネスとする企業だ。ビジネスだから、この企業で働く労働者にフェアな給料を支払う必要があり、経営者と株主や出資者にもフェアなリターンを提供する義務がある。ビジネスは趣味や施しではない。

農業時代では、共同体としての損得勘定があったにせよ、慈悲の融通(一種の地域内保険制度、地域内所得の再配分)がコミュニティ内部で機能していた。
ただし、誰が払い、誰が受け取っているかの対応関係が見えていた。コミュニティへチャリティする側には道徳的義務感があり、受け取る側には感謝の念があった。さらには、コミュニティ全体の負担能力が見えるために全員が限度を認識できた。
そして、コミュニティとその相互扶助のシステムを維持するために、構成員は一定の時間と労力を提供する義務を負うのだという合意があった。

集団就職で田舎から都市に移住することは、田舎のコミュニティに対する義務から足抜け
することを意味した。

古い因習、負担、束縛から逃れて、自分で稼いだ収入から一定の税金(=金)さえ納めれば、時間と労力(=手間暇)を提供する義務を免れることができた。

集団就職者を採用した企業は、義務から足抜けした労働者を必要としていた。
採用した労働者が定期的に田舎に帰って「手間暇がかかるコミュニティに対する義務」を果たすようでは困ると考えていた。

だから、企業「社内福祉=終身雇用」を提供することが、労働者を田舎のコミュニティから足抜けさせる事への免罪符だと考えたと解釈できる。
厚生年金の保険料を半分企業が負担するという制度も同じような趣旨だ。

コミュニティから足抜けするために支払うお金(労働者の税金、企業の各種負担金)は、時間と労力の提供という「手間暇」に比べれば負担感が少なく、かつ経済的にも安価だった。
経済的な算数の答え(有利不利、損得勘定)は、「都市化=負担の少なく、自由で裕福な生活」であった。
コミュニティ内の相互扶助システムのない都市部では、個人主義が謳歌され、少ない納税&多額の福祉が住民の要求となっていった。