2015年6月30日火曜日

ギリシアの行く末(6月30日12時現在)

個人的には「勝手に、どうぞ!」なんだけど、、少しまとめると

希望的観測

1:IMFのオバサンは、EU当局の願いを受け入れて、ギリシアにデフォルト宣言しない
2:国民投票は撤回される
3:7月20日までの交渉が再開される
4:市場は、とりあえず落ち着く



現状のまま行くと・・・悪いケース

1:国民投票で、緊縮に「No」
2:IMFが、デフォルト宣言(ウクライナの手前、デフォルト宣言せざるを得ない)
3:ギリシアは、IOU(政府発行の借用証書)で年金や公務員給与を払う
4:IOUが新ドラクマになり、、為替レートが発生
5:ギリシア国内市場から、ユーロが流出する。国民が隠し持つ&外国銀行の口座に送金する
6:7月20日が来るが、ECBが保有するギリシア国債の償還のためのユーロが、ギリシアには無い。
7:事実上のユーロからの離脱が起こる。形式的には????

現実は、もっと複雑で紆余曲折があるのですが・・・

<<追記>>
13時現在
ギリシア国民の「首相を支持=EUの緊縮にNo」が意外に少ないことに、首相は危機感を持ち始めた。
Yes,EUの緊縮を受け入れる=総選挙、新首相選出、、EUと交渉、、なので、希望シナリオに近くなる

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2015年6月28日日曜日

10年、20年と解決しないのが、ギリシア問題

6月30日でEUの援助は終了
その後は一体どうなる????
デフォルトするとそうなるの?

そんな不安感で市場は軟調
だから、安く株が買える

そもそもギリシア問題は、今月では解決しない。
今後も、10年20年と未解決のまま続いて行く「見果てぬ夢(=悪夢)」のようなもの

ギリシアの債務問題は、2004年のギリシア・オリンピックが終わると、徐々に問題が表面化した。
2006年ごろには、知る人ぞ知る問題になってきた。
2008年のリーマンショック後は、解決不可能な問題(=永遠に返済不能)だと認識されるようになった。

だから、ギリシア問題が解決したら。。。なんて投資家は、いつまで待っても買えない。
別に株に投資する義務はないのだから、かまわないのだけどね・・・

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2015年6月15日月曜日

株の運用は、チーム・マネジメント

複数の銘柄を保有しており、何を売るか迷ったら?

これに関して、以下のような「たとえ話」をしたら、納得してもらえた。

あなたはプロジェクト・マネージャーだ。
給与は能力&成果給、出来高制だ。
現在のプロジェクトはゴールまで道半ば、5人の部下を統率しており、2-3合目といった程度

その時人事部から、一人出せと言われた。
あなたは誰を出す?

(1)出来が良い優秀なメンバー
(2)期待外れのメンバー

答えは、(2)期待外れのメンバー、だ。

(1)
出来が良い優秀なメンバーを出してはならない。
彼は今後もプロジェクトを完成させるために能力を発揮し続ける重要なメンバーなのだから。

例外は、出来の良いメンバーの賞味期限が切れたと判断した場合のみだ。
今後下り坂になって他のメンバーの足を引っ張るなら、退場してもっらう方がチーム・マネジメントには好影響がある。

たまに、「優秀な人間を出してこそ」みたいな美談を語る人がいるが、現実世界ではそれは話だけにしておいたほうが良いと思う。

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2015年6月1日月曜日

地政学リスクの基礎知識(7)足元でくすぶっている問題

(1)ISは消滅する可能性があるが、問題は深刻化へ

ISの兵士は月500ドルの給料を支給される傭兵だ。
IS掃討作戦が始まって以来、500ドルの月給を兵士に支払うための収入源が徐々に消えている。
サウジからの資金は細り、石油精製工場が破壊され石油製品の売却代金も枯渇気味、誘拐身代金を得ることも困難になった。


給料がもらえなくなったら、ISの兵士は出身国に帰るだろう。
武器を持って帰国するIS兵士は、出身国内で困った問題を引き引き起こすだろう。
帰国者が最も多くなると言われているのがサウジだ。そもそも過激な思想をもった若者を海外に追い出して活動させ、国内の平穏を得るのがサウジの戦略だった。古くはアフガンのビンラディン、そして現在はISという流れだ。
過激な思想の若者は、国内では王族の奢侈な生活や権益の独占による貧富の格差を非難して暴力テロを起こす可能性が高い。だから、サウジは過激な思想の若者を帰国させたくない。ISが消滅することはサウジの国益に反すると考えているだろう。


(2)宗派対立に主軸が移りつつあるIS問題
イスラム教の二大宗派は、多数を占めるスンニ派と少数派のシーア派だ。イラクとシリアにおける「IS掃討作戦」においても、サウジはスンニ派であるISを完全消滅に追い込みたくない、温存したいと考えているようだ。

ISの戦闘員はサウジ出身者が多く、これまでも密かに多額の資金援助を行ってきたので、今後も対シーア派の活動要員としてISを活用したいのだ。

サウジの中東域内での国際戦略は過激さを増している。
隣国イエメンにおけるシーア派とスンニ派の内戦に対しても、サウジはスンニ派連合軍を率いて(事実上はサウジ単独に近い)、スンニ派の暫定政権に肩入れし、シーア派の軍事部隊を越境攻撃している。シーア派の軍事部隊が宗教上の宿敵イランの資金と軍事援助を受けているからだ。


(3)共通の敵が消えると仲間割れが始まる
ISと言う共通の敵が消えると中東アフリカ各国の内部事情や隣国との間に抱える摩擦が表に出て来て、かえって混迷と内部対立が深まるだろう。

2010年に独裁政権国家から民主主国家へ変わると期待された「中東アフリカの春」は「独裁政権は去ったが、内戦と混迷が来た」という悲惨な結果に終わり、各国とも政治経済の低迷に苦しんでいる。

民衆は経済面で不満を持っており、その不満の矛先をそらす為にも、各国政府は隣国との対立感情をあおるだろう。小競り合いかも知れないが軍事衝突を政治的に利用することになる。テロ活動や内戦などは、長期化し混迷を深めてしまうだろう。

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地政学リスクの基礎知識(6)ウクライナ危機は、キューバ危機と同じ“旧来のパワーゲーム”

(1)ウクライナ危機は、EUのやりすぎに対するロシアの引くに引けぬ対応
EU、そしてNATO(北大西洋条約機構)は1991年のソ連の崩壊以降、ソ連の旧衛星国に勢力を拡大した。いわゆる西側陣営の勢力が大きく伸張した。


1991年に崩壊したソ連はロシアになったが、ロシアはUSや欧州を信頼しながら政治と経済の改革を進める苦難の道を歩んだ。
しかしUSや欧州は、旧ソ連圏の国々を「資本主義化&民主主義化」する事にだけ興味がありロシア経済の弱体化とロシア社会の混乱を黙認(もしくは歓迎)する姿勢を続けた。


特に、1998年のロシア危機に際してUSのルービン財務長官はロシアの救済を意図的に遅らせて、ロシアを経済破綻に追い込んだ。それがUSの国益に資すると判断したからだ。

その後もEUとNATOは、東欧中欧国家を自陣営に取り込んで、ロシアとの国境に迫った。軍事面では、旧ソ連圏の国家をNATOに加盟させ、その国土にNATOの基地やミサイル防衛網(対ロシア戦略)を配備させた。

旧ソ連の衛星国が親欧州国家になりNATOに加盟して、ロシアと直接国境を接するまでに拡大した事に、ロシアは苛立ちと怒りを覚えた。

特にウクライナは、ロシア発祥の地でありモスクワのすぐ近くである。
ウクライナがEUとNATO加盟に加盟し、対ロシアのミサイル配備という状況になることは、ロシアにとっては絶対に許せなかった。


( 下図、NATO加盟国の増加の様子、ウィキペディアより、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84%E6%A9%9F%E6%A7%8B )




(2)キューバ危機(1962年)は、ソ連のやりすぎに対するUSの引くに引けぬ対応だった


現在のウクライナに対するロシアの国際政治上の過激な反応に類似する事件が、1962年にあった。キューバ危機だ。

現在のウクライナ危機は、1962年のキューバ危機に類似しているのだ。
ソ連が同盟国キューバに核ミサイル基地を建設しよう計画したことに対し、USが激しく反発した。




( 上図、ウィキペディア、写真は建設中の核ミサイル基地
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%90%E5%8D%B1%E6%A9%9F )


キューバに核ミサイルが配備されると、キューバから発射される核ミサイルで全米が核の脅威にさらされる
ウクライナからのミサイルでモスクワが攻撃されるという現在のロシアの懸念と同じだ。当時のソ連が計画したことは、現在欧米がロシアに向けて配備を進めているミサイル防衛網と同じなのだ。


1962年10月、米ソは協議を重ねた。そしてソ連が妥協策を提案した。
アメリカがキューバに対する軍事行動をせず、トルコに配備されているミサイルを撤退すれば、ソ連はキューバの核ミサイルを撤退させるというものだった。


交渉中の10月27日、キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ空軍のロッキードU-2偵察機が、ソ連軍の地対空ミサイルで撃墜された。アメリカ海軍は海上封鎖線上で、ソ連の核魚雷を搭載する潜水艦対し爆雷攻撃した。攻撃を受けた潜水艦には核魚雷が搭載されており、その発射寸前までいったが、ソ連の潜水艦隊参謀の自重によって核戦争は回避された。この日は「暗黒の土曜日」と呼ばれ、三次世界大戦の勃発を覚悟した日と言われている。


10月28日フルシチョフ首相はモスクワ放送でミサイル撤去の決定を発表した。
フルシチョフはケネディの条件を受け入れ、キューバに建設中だったミサイル基地やミサイルを解体した。
ケネディもキューバへの武力侵攻はしないことを約束、その後1963年4月にトルコにあるNATO軍のミサイルを撤去した。


当時のUSにとってのキューバは、現在のロシアにとってのウクライナである。
こう考えれば、ウクライナはNATOに入れないだろう。
1:ロシアは入られると絶対に困る
2:USも、無茶な行動をするウクライナを入れたら不要な戦争に発展するから困ると考えているだろう。


また、ロシアがクリミアを併合したことに、欧米が実力行使をしない背景も、ウクライナの無茶な行動が引き起こす東西の直接対決戦争のリスクが極めて高いことを考慮してのことである。

なおクリミア関連に関しては、過去レポートを参照いただきたい。

1:ウクライナ問題:歴史(1)
2:ウクライナ問題:歴史(2)
3:ウクライナ問題:紛争の現状と背景
4:ウクライナ問題:ロシアとドイツの関係
5:ウクライナ問題:投資に与える影響
6:その他

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地政学リスクの基礎知識(5)中国の台頭は、旧来のパワーゲーム的地政学リスクスク

(1)USの後退、中国の勃興


第二次世界大戦後は、
A:グローバリゼーションと、
B:アメリカン・スタンダード(=アメリカ流民主主義+資本主義)
が推進される時代だった。

 IMFもWTOもアメリカの国益に資する「グローバリゼーションとアメリカン・スタンダード」を世界に流布させるために、アメリカの意思で設立&運営されてきた。

WTOは「江戸幕府時代に日本が遭遇した黒船による強制開国」と同様に、しかしヤンワリと世界各国に開国(=貿易の自由化、関税撤廃)を迫った。


IMFによる「ドル資金の貸付」が、黒船の大砲に変わる武器として使われた。金融の武器化である。
資金(USドル)を貸し付けて、US企業の製品を買わせた。多くの国が、借金(USドル)が無ければ経済(輸入)が立ち行かない状態になった


2015年に設立される予定の中国が主導するAIIBだが、
A:グローバリゼーションと、
B:非アメリカン・スタンダードの資本主義
という組み合わせの容認を世界に突きつけた。

Aの「グローバリゼーション」に関しては、中国を含め世界が「受け入れざるを得ないこと」と容認している。鎖国をしない限り、グローバリゼーションは所与のものだ。
隣近所の国や遠くの国、自分たちと異なる考え方の人々と、うまくやっていかなければ、国民を幸福にできない。それがグローバリゼーションのエッセンスだ。
一方、Bが意味する「資本主義」に関しては、アメリカ流が世界中の国にベストなものとして実現可能なのか、各地域の特性、国の政治制度、民族の歴史や習慣に応じた資本主義を採用すべきなのかは、第二次世界大戦後70年を経ても結論が出ていない。

ドイツやフランスをはじめとする大陸欧州の資本主義は、US流の資本主義とは異なる考え方だし、アジアの優等生、シンガポールも違っている。日本は民主主義の仮面をかぶった「もっとも成功した社会主義国家」と揶揄されることがあるほど、USから見れば異質な資本主義だ。

豊富な資源に恵まれ、3億人の人口という大きな市場を自国に抱え、広大な国土で農産物も生産し、いざとなれば自給自足も可能なUSに成立した資本主義は、そのUSという国の特性の上に成立したものだという事を認識すべきだ。
中国の主張する資本主義も、世界に存在する様々な資本主義の一個として受け入れられる可能性がある。
AIIBの参加国が50カ国以上になったことは、ドイツ、フランス、UKという欧州の主要国が参加するなど、中国的な考え方を加味した資本主義が受け入れられそうだ、という事態を示唆している。
少なくとも、口を出すが金も出すというかつての面倒見の良かった親分USが、今や口は出すが金は出さなくなった事態を受けて、USの子分たちが「金を出してくれる親分候補、中国」にも二股かけておきたいと行動を始めたということだ。


(2)安定している中国
国際政治における中国の地位は高まり続けるだろう。


欧米が期待する「経済の自由化が、民主主義への移行を促進する」という図式は実現しない。それが識者のコンセンサスになってきた。


共産党の指導者は膨大な数の共産党員から選ばれ勝ち残った7人だ。賢明であり、民主主義国家のように短視眼的な民衆の意向に左右される選挙対策に忙殺されることもない
世界的な見地、遠い将来を見据えて、足元的には苦痛を与える事を、民主主義国家より決断実行しやすい


今後も共産党が支配するという政治体制は現在のままだろう。

その意味では世界有数の安定した政治体制であるとも言える。 facebookコメントへ

地政学リスクの基礎知識(4)地政学的リスクは、宗教戦争という側面を持っている 

(1)宗教戦争には二種類ある。
一つは異教との戦い、もう一つは同じ宗教内部の宗派対立に起因する戦争


バルカン半島の紛争は、異教徒との戦いという側面が大きい。
アフリカ中東地域の紛争は、イスラエル問題を除けば、同じ宗教内部の宗派対立に起因する。


(2)バルカン半島の状況
700年に及ぶオスマン帝国の支配により、バルカン半島は「人種と宗教が入り乱れて居住するモザイク状態」になった。


ユーゴスラビアは第二次世界大戦ではドイツ、イタリアに支配されていたが、パルチザン勢力指導者のチトーによって独立を達成し、その後は安定していた。

しかし、そもそも「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」といわれるほどの多様性を持つ連邦制国家だった。


ベルリンの壁の崩壊、ソ連の解体という流れの中で、連邦制の絆が弱まると各自が独立を目指す分裂の時代に入った。下図は各国の独立した年と勃発した紛争。



1991年から2001年にかけて五月雨式に発生した独立宣言と、それに
反対する勢力による内戦が泥沼化した。


その中でも、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争とコソボ紛争はもっとも凄惨を極め、民族浄化・虐殺・強姦・追放・破壊などを伴う殺戮が長期化した。欧米の介入、NATO軍、国連軍の介入により、ようやく停戦が実現した。


参考、ウィキぺディア


(3)中東アフリカの宗派対立
イスラム教の二大宗派は、多数を占めるスンニ派と少数派のシーア派だ。
シーア派(イラン)に対するスンニ派(サウジ)の憎悪は激しい
特にアメリカが中東政策に関し「サウジべったり」の姿勢を転換し「イランとの融和」を始めて以来、サウジの外交姿勢は強硬になってきた。

イラクとシリアにおける「IS掃討作戦」においても、サウジはスンニ派であるISを温存したいと考えていると言われている。

また、イエメンにおけるシーア派とスンニ派の内戦に対しても、スンニ派連合軍という形式(事実上はサウジ単独に近い)で、スンニ派の暫定政権に肩入れし、シーア派の軍事部隊を越境攻撃している。
古くは、イラン(シーア派)とイラク(多数はスンニ派)が10年近く戦ったイラン・イラク戦争(1980年~1988年)もあった。
(4)同一宗教内部の派閥争いが戦争に発展し長期化することは、イスラム教だけの問題ではない
欧州のキリスト教世界においても、 「カトリック VS プロテスタント」という対立が各国の利害関係と合わさって、国と国との戦争に発展した時期があった。いわゆる欧州の中世がそれである。


宗教戦争は、宗教上の問題が原因の戦争だが、宗教上の対立のみではなく、政治的経済的な利害もからみ深刻な争いとなる。
欧州における主な宗教戦争には、以下のようなものがある。
第1次カッペル戦争(1529年)スイス、(wikipedia、)
第2次カッペル戦争(1531年)スイス、(wikipedia、) 
シュマルカルデン戦争(1546-47年)新生ローマ帝国、今のドイツ、(wikipedia、) 
ユグノー戦争(1562-98年)フランス、(wikipedia、) 
八十年戦争(1568-1648年)、(wikipedia、) 
三十年戦争(1618-48年)、(wikipedia、)
主な宗教戦争だけでも見ても、100年以上も欧州は戦争に明け暮れていた。
中世は精神的に、「キリスト教>世俗政治経済」という構図だった。
カトリック、プロテスタント、双方が王侯貴族をけしかけて自派の勢力拡大を画策した。そのために多くの生命が無駄に消えた。


同国民同士が血を流して争う宗教戦争への反省から、西ヨーロッパでは政治と宗教の分離が進められた
ルネサンスを経て、「世俗政治経済>キリスト教」という関係に逆転した時に、中世から近代への扉が開いた。


21世紀の現代において、イスラム教国家で繰り広げ得られている「原理主義者、過激派のテロ活動」、「聖戦もどき」は、欧州の中世に繰り広げられた無駄な殺戮を彷彿させる。
欧州は膨大な人命の殺戮を経なければ、政教分離に到達できなかったが、中東アフリカのムスリム国家も、その歴史から逃れられないのだろうか?


お金、経済に関する争いなら妥協できる。要は、金で解決する、ということだ。
宗教や民族問題がからむと、妥協が困難だ。特に一神教が関係する争いでは、ほぼ妥協は不可能だ。
世の中、お金で解決できる問題は、簡単な事だ。


==中世に関する豆知識==
4世紀前半ローマ帝国は、キリスト教を公認するとともに、ローマからコンスタンチノープルに遷都した。 
兵力も東に重点的に配備され、蛮族であったゲルマン民族の帝国内への流入が激しくなった4世紀後半ローマ帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国は、実質的に切り捨てられた。 西ローマ帝国の滅亡は、古代が終わり中世が始まった事を意味した


7世紀に興ったイスラム勢力により、古代ローマ時代からのパクス・ロマーナの地中海世界は崩壊、ヨーロッパは、イスラムに囲まれ、ヨーロッパ世界は封じ込められた。中世のほとんどの年月、イスラム世界>キリスト教世界、という構図が続いた


ヨーロッパ東部では東ローマ帝国を中心とした東ヨーロッパ世界が形成されていく。
東ローマ帝国の基調は、ギリシア文化と東方正教(ギリシア正教)となり、ビザンツ帝国として15世紀まで続いた。

西ヨーロッパでは、8世紀イスラム勢力の侵入からヨーロッパを守ったフランク王国による統一が進められ、800年カール大帝の西ローマ帝国復興によって、ローマ皇帝とローマ教皇という中世の構造が成立。

中世西ヨーロッパ世界は、世俗世界をゲルマンのローマ皇帝が支配し、精神世界をカトリックのローマ教皇が指導する構造となった

中世ヨーロッパは、ドイツの皇帝とイタリアの教皇という二つの中心を持った世界であったが、帝権と教権の衰退後、各地域の王権の伸張によって16~18世紀の近世絶対王政時代へと移行していった。
中世世界の残骸的な神聖ローマ帝国は、19世紀にナポレオンによって滅ぼされるまで形式的には存続していた。

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