2016年8月14日日曜日

社会が育てる子供_4

そもそも福祉とは一定の集団(コミュニティ)の中で生ずる「非常にかわいそうな事態への適度な救済」制度だ。

夫に先立たれた無資産の妻と子供の養育に対する援助制度や、労働するには大きなハンディキャップを持った人間への支援制度などは、その代表例だ。

コミュニティにおける福祉の大原則は「全員が相互扶助に参加する」である。
福祉は
天から降って来るものでもなく、第三者が恵んでくれるものでもない。
参加とは「手間暇の拠出」という負担を引き受けることだ。

相互扶助への参加は、社会(=コミュニティ)に対する義務だ。
人間は社会的な生物であり、自分以外の人間が貢献して作り上げた社会システム生活の基盤として利用しながら生きている。
その社会システムを維持するために、全員が社会に対する貢献を果たすことが求められている。

1.社会とは、家族・一族、地域社会、国家、人類という区分と広がりを持つ。
2.貢献とは社会の役に立つこと、つまり他人に貢献することだ。
3.役に立つとは、社会(=他人)が「それを貢献と認める」ことだ。

人間は、隔離された自給自足生活を営んでいる人を除いて、社会に対する貢献の対価としての所得を得て生活している。
社会的に何も貢献ができない状態になれば、人間は社会的には無価値になる。無価値になれば、受け取り所得が消える。その後はそれまでに蓄えた資産で生活するか、他人の慈悲にすがって生きるか、の二択である。

現代の国家という制度の中では、資産を持たない者は、他人の慈悲(=他人の税金)を国経由で受け取っている。
顔の見えるコミュニティ内の他人にから受け取るのは恥ずかしく、思いとどまり、何がしかの自助努力をする。

しかし、工業化&都市化以降の時代では、
顔の見えない政府に対して、「困っている俺に金を恵むのは当然だ」と政府に対して請求するようになった。