2016年8月14日日曜日

社会が育てる子供_2

税金を受け取る側は、払う側の意向に従わねばならない
このことは農業時代でもそうだった。
村の世話役が「払う側」で村の様々な事を担当しており、彼の意向で村の経営が行われていた。

当然のことだが、世話役はボランティアで払う側を演じたわけではなく、世話をすることによる直接間接の利益があったから世話をしていたのだ。


世話役は、村全体の経営が持続するように全員から何がしかを徴収してプール(=税金や保険料に等しい)して、困った人に給付する相互扶助を担当していた。

子供が健康な農業労働力に育つことは、その家庭、村全体、そして世話役という全員の利害が一致していた。
農業時代はコミュニティが直接間接に子供の面倒を見ていた。子供の行動に村人が興味をもっており、子供の間違いを矯正したりした。

1950年代以降、商工業の時代になって、村から労働力が都会に流出したが、農業の機械化が進展していたので、村の労働力は困らなかった。
生産性の向上により、都会に出た子供たちに「農産物を仕送りする」ほどの余裕があった時代だった。

一方、都会にでは子供たちには、「村の世話役が担当していた相互扶助」が消えてしまった。