宗教が個人の心の中に押し込められたのは最近の事である。
少し前までは、宗教は生活の様々な部分と関係を持っていた。
冠婚葬祭から居住の可否、国王の選定までが、信じる宗教によって支配された。
その時代は宗教が物の利害関係に及んでいたので、宗教を変えることは頻繁に行われた。特に為政者は宗教を統治の手段として位置付けていたので、統治に有利な宗教への改宗が平気で行われた。
宗教が個人の心の中に閉じ込められる、つまり政教分離が欧米では近代化と認識された。
政教一致にこだわると、理不尽なこと、特に理不尽な戦争が多発して、国土の荒廃、人口の減少、経済の疲弊に直面したからだ。
理不尽な戦争の代表が30年戦争(1618~1648年)と言われている。
その詳細はウィキペディアのここにある。
きっかけは宗教だが、国民国家という新しい概念が宗教の呪縛から逃れようとする動き(特にフランス)と混然一体となって30年間もの消耗戦となったのだと、春山は解釈している。
きっかけは宗教だが、国民国家という新しい概念が宗教の呪縛から逃れようとする動き(特にフランス)と混然一体となって30年間もの消耗戦となったのだと、春山は解釈している。
( 30年戦争は、ボヘミアで始まった。その当時の様子 )
イスラム諸国は、程度の差こそあれ、いまだに政教一致を原則としている。
イランのように政教一致のイスラム国家で世界を統一する(=世界革命)運動を推進すべしという憲法を持つ国もある。
一方、エジプトのように比較的自由な雰囲気の国もある。
イランのように政教一致のイスラム国家で世界を統一する(=世界革命)運動を推進すべしという憲法を持つ国もある。
一方、エジプトのように比較的自由な雰囲気の国もある。
現在のイスラム諸国の国民は、全体としては政教分離を求めていないと解釈できる。
欧州の30年戦争みたいな何かをきっかけに、イスラム諸国の多数が政教分離を求めるようになるのかは、判定不能だ。