2016年8月21日日曜日

物と心の利害関係、政教分離

宗教が個人の心の中に押し込められたのは最近の事である。
少し前までは、宗教は生活の様々な部分と関係を持っていた。
冠婚葬祭から居住の可否、国王の選定までが、信じる宗教によって支配された。

その時代は宗教が物の利害関係に及んでいたので、宗教を変えることは頻繁に行われた。特に為政者は宗教を統治の手段として位置付けていたので、統治に有利な宗教への改宗が平気で行われた。

宗教が個人の心の中に閉じ込められる、つまり政教分離が欧米では近代化と認識された。

政教一致にこだわると、理不尽なこと、特に理不尽な戦争が多発して、国土の荒廃、人口の減少、経済の疲弊に直面したからだ。
理不尽な戦争の代表が30年戦争(1618~1648年)と言われている。

その詳細はウィキペディアのここにある。
きっかけは宗教だが、国民国家という新しい概念が宗教の呪縛から逃れようとする動き(特にフランス)と混然一体となって30年間もの消耗戦となったのだと、春山は解釈している。

( 30年戦争は、ボヘミアで始まった。その当時の様子 )

イスラム諸国は、程度の差こそあれ、いまだに政教一致を原則としている。
イランのように政教一致のイスラム国家で世界を統一する(=世界革命)運動を推進すべしという憲法を持つ国もある。
一方、エジプトのように比較的自由な雰囲気の国もある。

 

現在のイスラム諸国の国民は、全体としては政教分離を求めていないと解釈できる。
欧州の30年戦争みたいな何かをきっかけに、イスラム諸国の多数が政教分離を求めるようになるのかは、判定不能だ。
少なくともイスラム教の敬虔な信者は政教一致こそが正しく進歩した考え方だと信じている。

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