2018年9月25日火曜日

民主主義

< 民主主義とは、多様性の容認 >
相争う個人やグループの自己主張に「暗黙の限度が課される」こと、これを参加者全員が容認することで成立・維持される制度が民主主義
民主主義とは、元来このように「不自由との共生」が前提となってる
これは、自由が人間にもたらす重荷である
意見の異なる各党派が、相互に「適切な自制」を働かせないと、民主主義は機能しない、重大な政策を実施することが出来ない。
これが機能するためには、権限を持った調整役の存在が必要だ
権限とは強制力を伴わなければ実効性が担保されない。

完全なる自由&自己主張を自制して調和のとれた妥協を否定し、反対派に勝つことが、唯一の目的になった時、民主主義が必要とする結束力は失われる

< 民主主義と独裁主義は、合意形成プロセス違い >
合意形成のための説得、妥協を経て、多数決
合意形成努力は非効率的だが、これがあるのが民主主義で、絶対的に優れた何か(人、グループ、神、ドグマ)によって合意形努力を省略(時として効率的)して、他を(肉体的、精神的に)支配して合意を作り出す、または決定を実行するのが、独裁主義
強制・指導、・教育、これらは言葉は違えど、独裁主義下では、意味する内容は同じ
民主的/非民主的 : decision making processの手法・プロセスに相違点がある。
決定され、実行される政策は、同じであったり、異なったりする。

< 民主主義における独占&買収 >
資本は、お金を使って独占できる。株式会社が典型例
民主主義の根幹にある「投票権」は、お金を使う(=買収)には多すぎてコスト割れになる
暴力や恐怖を使って。、事実上の独占をする方が効率的
自分と自分の父親(北朝鮮を建国した金日成=キム・イルソン=氏)を神とあがめる個人崇拝を至る所に行き渡らせ、民衆を支配下に置き続けるために想像を絶するレベルの恐怖政治を進めた。

< 資本主義と独裁主義の共通点 >
資本主義は、効率性至上主義という単一のモノサシ[数字]が支配する世界
感情、思いやり、慈悲という「甘さ、遊び、ゆとり」を嫌う
時には、TVゲームのように、人権を無視し、異分子を抹殺する
独裁主義は、自らが最も優れていると思うがゆえに、他者を虫けらのように抹殺する、肉体的に、精神的に

< 独裁主義の典型、マルクスは何故、間違えたか? >
図書館で考えたから
現実世界の営み、人間の感情、欲望と恐怖の非合理性、これらを「ベキ論」で無視した
ベキ論は、研究室の純粋培養
現実世界は、雑菌がいっぱい
必要なデータが十分に得られていない段階で、「わかった、これでOK」と持ち出してくる計量分析派のモデルにも、そのDNAがあると思う

< アメリカの民主主義は、特殊な民主主義 >
アメリカのの民主主義が「最も正しい」という妥協なき考え方自体が非民主主義的である
民主主義は多様性を容認することを起点とする制度であり、絶対優越を起点に合意形努力を省略して他を支配して決定を実行するのは独裁主義であるからだ。
人権など道徳規範が前面に出て、善か悪かの二元論に陥りやすい点も、多様性の拒否、他神を排除するキリスト教(一神教)の範囲内の民主主義に過ぎない。
さらには、自分たちよりも劣ったもの(多くは非キリスト教民族)対しては、人権保護の対象外という考え方を所与とする事例も散見される。歴史的にも、アメリカ原住民から奪う行為も「神によって認められた行為」と正当化とされた。
これらの事実は「アメリカは"神によって選ばれた"世界の例外である(だから何をやっても神に許されている)という"例外外主義"」を生み出し、国家の「物資的な豊かさ」によって支えられた「道徳的優位」を世界に向かって主張する「宣教師」精神を生み出し、現在に至っている

< 衣食足りて、礼節を知る >
民主主義とは、ある意味「礼節」だ。
衣食足りていないと、「変な民主主義=ニセモノ民主主義」しか成立しない。
つまり、民主主義は余裕のある国や地域にのみ成立する制度だと言える

< 人間が実行する資本主義&民主主義 >
2007年のサブプライム崩壊、2008年のリーマン・ショックを経て、資本主義の堕落&暴走が叫ばれている。
資本主義は人間が実行している。
資本主義の堕落&暴走 = 人間の堕落&暴走
民主主義も人間が実行している。
人間の堕落&暴走が、民主主義をも堕落&暴走させてしまったことは当然の結果だ。
民主主義は、多様性の許容が基本になっているが、今や”多様性の許容”は「エゴイズム」に乗っ取られてしまった。

< 民主主義は単純多数決の世界だ >
能力主義でも、頑張っている度合いでも、税金を沢山払っている度合いでも、モラルの高低度合いでも、全て無関係の単純多数主義だ
資本主義が純粋で野蛮な資本主義から変質を迫られたように、純粋の(=単純多数の)民主主義も変質すると思う。

< 自由とは、勝ち取るものだった >
皇帝、王様、支配者、もしくは支配しようとするものと、戦い、交渉して、勝ち取るものだった。
勝ち取った自由は、「特権」と称された。
欧州における様々な歴史的な特権の多くは「勝ち取った自由」だった。
絶対主義王政時代、帝国主義時代には「特許状」なるものが出てきて「ビジネスの独占的な享受」が始まる。
これは「特許」であって「特権」ではない。
日本語では、細かな言葉の差かもしれない。
しかし、欧州では「特権」と「特許」は別世界のものだ


< 自動的に来ない民主主義 >
自由選挙をすれば「自動的」に「民主主義」がやってくると口角泡を飛ばす”エセ民主派”は、混乱を招くだけだ
中国では、「共産党ブラ下がり族=既得権益層」が形成されている。
資産家層、知識人層に広がっている。
だから、強力なトップ・ダウンでやらなければ、何も変わらない



< 欧米の民主主義は、市民革命によって生まれた >
市民革命の推進主体となったのは、都市の有産市民階級であり、ブルジョアジーと呼ばれた。
貴族や農民は、ブルジョアジーとは別だと認識されていた。
都市の有産市民階級が政治の主体であるとの認識は、今でも欧米の政治社会のDNAだと思う。
換言すれば、無産階級は無分別という考え方なのだろう。


< 社会とは相互依存&相互譲歩の絆である >
他者を利用し、他者に利用される、コミュニティである。
もちろん、利用の能力には各人で差がある。
だから、社会という利用のレバレッジの有効活用の結果には格差が生じる
日本も、中国も、そういう状況にある。
安倍首相と、習近平は、同じ努力をしていると、春山は思っている。

< 民主主義とは、参加主義 >
参加する者が決定する
生まれながらに参加権はある
行使するか、放棄するか、自由




< 近代化はあっても、民主化の無い国の方が多数 >
民主化が成立する国、、、例外的と考えれるのが妥当かもしれない

< 個人主義が発展しないと民主主義は成立しないようだ >
個人主義が発展するためには、それ相応の経済力を有権者が持つことが必要だ
経済力の無い個人全員が一気に有権者になれば、衆愚政治に陥りやすい
個人主義とは、社会的な責務を果たせる人間でなければ成立しない。
個人主義が発展し無い場合、全体主義、ファシズムに陥る

< 大きな経済成長が、大きな民主化をもたらすわけでは無い >
大きな民主主義があっても、大きな経済成長がもたらされるわけでは無い
統一した強力な国家と良い政治があれば、大きな経済成長がもたらされる


< 支配の正当性 >
被支配者が、支配者に正当性を与えるのは、国家建設と経済性成長による「恩恵の分配」による部分が大きいが、中国人は「お金、お金、お金」だから欧米よりも経済的分け前が正当性付与で重視される。経済的恩恵を与えた人間に対し「天命が与えられている」と判断する
現在の分け前 → 衣食住の「住」住宅不動産 + 社会サービス、年金医療
それゆえ、経済が低迷するとき、しかも被支配者の生活が困窮する状況では、支配者は他者、他思想に天命がありと被支配者が考えるのではないかという正当性の消滅に危機感を感じる。
現在の共産党一党独裁政権下では、共産党支配の正当性維持は重要だ。経済統計数値重視もしくは過大発表疑惑、4兆元の経済対策などの過敏反応は正当性消失への恐怖ゆえである
経済が弱めなら、分け前があまり増えないので、正当性を維持するために別の努力が必要になる
1:綱紀粛正、不正追放、(信頼性を得るためのパフォーマンス)
2:思想統制、密告制度、(恐怖政治)
3:対外強硬路線(強力な国家を作っているという国内向けの宣伝
4:海外を悪者にして不満を海外に向けさせる)

< その他 >
最初に民主主義が発展した英国では、「生活に困らない収入源を確保した”余裕のある”人間」が無給で政治を担当した。無給であり、自分は生活の不安が無い、という二個のファクターが「非堕落の民主主義」を発展させた。

21世紀とは、17世紀(東インド会社設立)以降の400年間に渡って欧米先進国に搾取された新興国(かつての後進国・発展途上国)が、独り立ちを始めた世紀だ、と後年位置づけられるだろう。


人口の圧倒的に多い彼らの経済成長は、物質の大量消費を意味し、その相場に沸いたのが21世紀の最初の10年だった、、、後から言うのは実に簡単だ

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