2016年2月10日水曜日

利上げと危機_1:メキシコ

米国の利上げ時には、それまでのゆるゆる環境で安易な経営安易な投資をしていたグループ、産業、国家が痛い目に会う

過去の実例の復習、、まずはメキシコ




以下は、ウィキペディアより抜粋
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1982年メキシコ債務危機

1970年代、石油価格高騰を受け、メキシコで石油投資ブームが発生
メキシコの賃金がアメリカよりも安いことから、製造業の工場移転による投資も増えた
メキシコへの投資は、米国の金融機関にとって、比較的安全なものと判断されていた。

ドルとメキシコ・ペソは固定相場であり、当時、メキシコの石油公社や電力会社は国営であり、メキシコ政府による債務保証が付けられていた。国家が破産するはずがないと信じられていた時代だった。

米国よりメキシコの金利が高いため、アメリカで資金を調達し、メキシコに投資をすれば、濡れ手に粟のように儲けることができた。
そういう事情により、メキシコの対外債務は急増していった。
債務の利払いは石油や輸出による代金で賄われていた。

ところが、1980年代になると米国の金利が上昇したため、対外債務の利払いが増大し、さらなる融資が必要となったが、財政負担能力を超えていた。

1982年8月、メキシコは利払いの一時停止(モラトリアム)を宣言する羽目になり、メキシコ国民は急激なインフレと失業の増大によって苦しんだ。

当時のメキシコの対外債務は870億ドルであった。メキシコ危機が国際金融機関に与える影響が大きいため、IMFと米国財務省、国際商業銀行団により救済措置がとられた。

1994年メキシコ通貨危機

メキシコは1986年関税および貿易に関する一般協定(通称:GATT)に参加
外国から資金を呼ぶため、金利は高く設定され、ペソは過大評価
輸入が急増し、輸出は不振となり、貿易赤字が増大

1990年の貿易赤字は1000億ドルに達し、さらに1992年12月、北米自由貿易協定が調印され、アメリカからメキシコへの投資ブームが起こった。
1982年の債務危機のことは忘れ去られ、安い労働力を求めて、アメリカの製造業がメキシコに大挙して工場を建設した。メキシコは空前の好景気に沸いていた。

バブルの崩壊は突然であった。1994年2月、南部で先住民による武装反乱が発生。3 月には大統領選挙の候補が暗殺された。この事件をきっかけにして、メキシコへの信頼が一時失墜し、カントリーリスクの懸念が表面化

メキシコ・ペソが暴落
メキシコ政府はドル売りペソ買いで為替介入したが、力尽きて、国家は財政破綻
固定相場から変動相場への移行を余儀なくされた。

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現在のメキシコ・ペソの状況は下図の通り
メキシコだけが・・・じゃないですね、今は



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