2016年7月26日火曜日

中国の民主化 (1) イントロダクション

1:自由化と民主化と一党独裁
世界で最初に強力な国家(中央集権官僚国家)を創造したのは中国だが、民主主義には到達していない。

近代化が進んだ今、中国の民主化は近いのか? 中国に対して民主化を要求する欧米だが、彼らとて民主化に至る道のりは平坦ではなかった。民主化を生んだ欧州の歴史との比較も交えながら、中国の民主化を考えてみたい。

2:秦の始皇帝
世界初の中央集権&官僚国家は中国で生まれた。強力な独裁政権だった。欧州において同様な官僚制度が機能するのは500年以上も後のことであった。

秦帝国以降、中国では多くの王朝が栄枯盛衰を繰り返してきたが、未だに欧米的な「法の支配」と「民主主義」は一度も生まれていない。

中央集権国家の誕生は、同時に中国古来の伝統である一族ファミリーで結束した地方豪族などの利権集団との闘いの始まりでもあった。
広大すぎる国土ゆえ、中央からの命令は地方では不完全にしか実行されない。地方豪族は、自己利益追求、またはサボタージュで面従腹背を続けた。この事象は世界共通だが、広大な国土をもつ中国では特に顕著であった。

現代中国でも、北京から派遣される市長と地元有力者の利権を代表する副市長という構成が、昔からの歴史を引きずっている。市長はぐるぐる転勤、副市長は・・・面従腹背だ。


3:法治主義と人治主義
政治を担当するのは生身の人間だ。
政治制度を法治・人治と分類する傾向があるが、どんな政治制度であれ「政治は人間が行う人治」である

民主主義であれ独裁主義であれ、寡頭政治であれ、いずれの制度でもリーダーの指導力が国力を決める重要なファクターである点では同じだ。
 
異なるのは、指導者の選定プロセスだ。
法制度の枠内に制限された人治なのか、為政者が制度を自由に変更できる人治なのか、換言すれば、人と制度のどちらが優位にあるのかが、法治か人治かの分水嶺だ。


「法の支配」や「社会的に合意された規律」という考え方が社会通念として存在しているかは重要だ。政治制度は社会通念の上に成立しているものだから。
「法の支配」や「社会的に合意された規律」が有る場合は、ルールを尊重する政治、つまり「法治主義」による政治が社会的に合意される。無い場合は、秀でた人に政治を丸投げする「人治主義」が合意される。

法治主義は、何かと手続きが多くて
非効率だが、制度が安定しているので安定した社会になる。法治主義は制度の上に為政者が乗る政治であり、主役である制度は変わらない。一方、為政者は脇役なので頻繁に後退する。なお、既存の制度を「変更してはいけない神聖なもの」と考える傾向が生まれやすく、制度疲労や硬直化という問題が不可避だ。

人が上からTop Downする「人治」だと、制度はコロコロ変わるが、優秀な人が常に最適な制度にタイムリーに変更できるので効率的な政治が実行される。しかし制度は不安定になり、一定の制度を前提として動いている社会は制度変更のたびに大きな変動を受ける。そして、優秀な人ではない「悪い人」が権力を握る「悪い皇帝問題」を避けることができない。

法治主義とは言っても、「法や制度を決定するのは誰か?」という問題がある。

一人の王様か、少数のエリート集団(寡頭制、多くの場合は貴族だった)か、選挙によって選ばれた代表民主議会か。
法治という名前であっても、実態は大幅に異なる。
参考図書
中国(上下):ヘンリー・キッシンジャー
国際秩序:ヘンリー・キッシンジャー
政治の起源(上下):フランシス・フクヤマ