2020年1月4日土曜日

緩衝地帯としてのイラク

2013年シリーズ第8回(http://blog.livedoor.jp/okane_koneta/archives/51771421.html)の続きです

1980年代までの東西ドイツ、現在も続く南北朝鮮、これらは米ソ冷戦時代に始まる東西イデオロギーの「緩衝地帯(=つばぜり合いを演じる場所)」だ。

似たような意味で、イラクはシーア派(イランが親分)とスンニ派(サウジが親分)の対立する二大勢力の緩衝地帯である
緩衝地帯が存在するために両陣営の親分同士が直接対決しないで済むという利点がある
同時に緩衝地帯を制した陣営が圧倒的な優位に立てるという事も意味している。イラクはシーア派とスンニ派の緩衝地帯だが、宗教的にはシーア派が約65%を占める多数派だ。しかし、クルド人の実効支配地域(USが後押し)とか背後のスンニ派親分サウジのパワーなどを加味すると、35%の少数派のスンニ派も相当の力を持っている。

2003年のイラク戦争以降のUSの戦略は、イラクを緩衝地帯(サウジ、イラン、どちらにも属させない宙ぶらりん国家)として維持することだった。
それを踏まえれば、2020年中東問題の重要なポイントは・・・
もし、イラクがイランの手に落ちれば、イランが支配する原油生産量は『世界を手玉に取る』に十分である。核開発を一旦は中断しても、いつでも再開可能に戻せる。
・・・・という事態を絶対に阻止するUSという事だと思う




この地域の理解には過去の経緯を知ることが重要だ。
次回はそれを含めて、2006年と2019年の重要な転換点を考えてみたい。

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