投資とは、何がどうなるかを推定することだ。
何がどうなるベキかを議論するのではない。
何がどうなるベキかを議論するのではない。
べき論は、将来推定のプロセスを鈍らせる。
投資には色んなやり方があるが、
春山の投資プロセスは、
1:できるだけ沢山の客観情報を観察する
1:できるだけ沢山の客観情報を観察する
2:これは大事だと思うものをメモしておく
3:一定期間経過後に、客観情報とメモをベースに、「こういう風に解釈すれば、全体が納得できる」というエッセンスを感じ取る
3:一定期間経過後に、客観情報とメモをベースに、「こういう風に解釈すれば、全体が納得できる」というエッセンスを感じ取る
4:各種の投資テーマに関して、「ならば、こうなってしまうだろう」という将来推定をする
・・・という観察重視だ。
・・・という観察重視だ。
べき論は政治家には重要かもしれない。
しかし、投資家は政治家ではない。
その他大勢の多数が決定する株価を受け入れるしかない。
市場は間違っているので、市場の株価とは別の価格で売買する、、などということはできない。
ゆめゆめべき論に溺れるべからず、、である。
しかし、投資家は政治家ではない。
その他大勢の多数が決定する株価を受け入れるしかない。
市場は間違っているので、市場の株価とは別の価格で売買する、、などということはできない。
ゆめゆめべき論に溺れるべからず、、である。