2016年11月2日水曜日

2017年を考える_1 : 中東

国際政治上、地政学上の重要地域は、(1)中東、(2)アジア、(3)欧州

中東
オスマン帝国の政治権力が縮小し、その穴をUKが埋めた。
第二次世界大戦後UKの経済力の衰退で中東地域を支配できなくなりUKが撤退し、その穴をUSが埋めようとしたが完全にはできなかった。

その背景は、
1:
USは民族自決の建前から欧州の植民地の独立を支援していた
2:エジプトに代表されるように、第二次世界大戦後の米ソ冷戦構造を利用した「米ソを天秤にかけるコウモリ作戦」が頻発した。
3:イスラエル(ユダヤ教国家)の建国に加担したUS(キリスト教国家)という立場が、王権や独裁政権の正当性をイスラム教に依拠するムスリム国家の反発を生み続けた
4:USとしても原油の利権を除けば深入りしたくなかった。朝鮮戦争に続きベトナム戦争という負担を抱えていたからだ。

中東の王権や独裁政権自身も、油の富を一族で独占することに主眼を置き、その一部を不満爆発防止目的でバラまくことで政権を維持してきた。政治体制の民主化や経済の高度化には興味がなかった。

統治の正当性を宗教に依存したが、これは人間社会の発展段階では
(1)初期段階(無知による神秘性の崇拝)、
(2)意図的な盲目段階(情報を隠し、理性を封じ込める)
という状況で発生するが、現代の中東は(2)である。

欧州の中世における「宗教権力>世俗権力」の時代に類似するが、両者に共通するのは「宗教を利用して統治」する、もしくは「教権と世俗権の二重構造」である。
欧州では経済の発展に伴い世俗側の力が増したこと、印刷の発展により情報が流布したことで教会の神秘性が低下したことで、「世俗権力>教権」のトレンドが形成された

2017年現在、サウジでは油依存からの脱却が計画されているが、「あまりにも安易に得られる果実」から「努力と節制を要求する他産業への転身で得られる果実」への転換を望むものは少数派にとどまっている

 

イスラム教は最後に出現した宗教であり、政治経済と宗教(ムハンマド時代は生活規範というのが妥当だろう)を一体化させるべしという特異な性格を持った宗教として登場した。
当初は旧来の宗教を信仰していた他の部族長も「イスラム教の採用が自分たちの統治に有利」と判断するや改宗していった。
国や部族という区切りを否定し、世界があまねくイスラムの神の元に統一されるまで戦いを継続するという教えの元、7世紀~10世紀に急速に支配地域を拡大して今日に至っている。
ISなど過激武闘派の精神的根拠は、この世界統一にあり、中東諸国は正面切ってISの主張を否定できないジレンマを抱えている。


歴史的には内部矛盾、自己矛盾を抱えた国は弱体化&崩壊への道を歩んだ。