2018年9月24日月曜日

読書メモ:情報の文明学

情報産業には2種類ある。
1:役に立つと思わせる、または実際役に立つ情報産業
2:直接間接の体験を通して心の満足を与える情報産業

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情報伝達は、
1:言語的シンボルで行う、まさに言葉
2:イメージ的シンボルで行う、絵文字・スタンプ、映像、音、匂い、
を使って行われる

天気予報は、もっとも古い情報産業だ。
この情報産業の発展によって、第一次産業(農業)も、第二次産業(工業)も発展が加速した。
現在のIT情報産業の時代は、農業も工業もさらに発展が加速する、巨大化する。

情報化社会、情報産業のそれ以前との違いは、「フィード・バック・システム」だ。
製品やサービスに対する評価が即時に生産量の増減や改良に反映される。
まさに人間の神経回路だ。

工業化の時代、物やサービスの独占を禁止する独占禁止法が出来た。
情報化の時代、情報の独占禁止法が出来るのか?

モノやサービスは露出し販売することの独占禁止だから、見える。
情報の独占禁止も、CMなど販売促進の禁止は容易だろう。
民心操縦のための情報操作は?
情報を見せない、囲い込むことは、独占?
工業社会の常識では無理な事が多い

京都は物量なんて気にしない。デザインです。
西陣と書くだけで値を上げる。大阪(沢山くれ!、安くしろ!)より、京都の方が情報産業的です。(大阪は、工業的)

ネクタイに、イタリア製ミラ・シェーンと書いてあるだけで数万円もする。これがまさに情報産業。
ちょっと情報を載せるだけで値段がワーっと上がる

人間は情報を得る事によって、次にとるべき行動を決める。
これが情報というモノのがもつ実用的な意味
だから、情報を入手しない人間は行動の数が少なく、変化が無い。

新たな情報手段を獲得した時、人間の情報発信能力、受信能力は飛躍的に拡大する。
言語を獲得した時、絵画能力を獲得した時、文字を獲得した時、電報・電話を獲得した時、電子メール・ブログ・SNSを獲得した時

人間の歴史において、すべての民族は言語を持っている。
しかし、全ての民族が文字を持っているわけではない。文字を持たない民族はたくさん存在する。
有文字社会においても、文字の読み書きができない人間は多く存在する。

文字が有意義に意味を持ち始めたのは2世紀の中国で紙が発明され、それが世界中に広がって以降の話だ。
人類にとって、文字情報の活用はまだまだ新しく、始まったはかりである

情報は個人の存在を超えて環境を形成している。
環境は文化になった。
文化は人間が作り出したものだが、個々の人間にとっては所与のモノ、つまり環境である。

個人は環境から自由になることはできない。
しかし、働きかけることができ、その働きかけの累積効果がさらなる環境としての文化を創造する。

文化とは、集団の共通の記憶のなかに蓄積された「情報の束」である。
誰かがつくったものであるにせよ、人間はそれから自由になることはできない。
我々は、そのなかで生きていくしかない。
人類における情報は、もはやそういう状況になったのだ。

進化とは可能性の展開だ。
可能性が確立された時、新しい展開が始まる。
印刷が発明された時に最初に聖書が印刷されたが、あっという間にありとあらゆるものが印刷された。
電信、電波が実用化された時、種種雑多、あらゆる情報がそれに乗った

モノづくり回帰、重視、が叫ばれる、この数年の日本
100年ほど前に農業国から工業国に変わるときに、「農業こそ日本国の礎」論が勃興した。
しかし、工業国日本、モノづくり日本に脱皮した。
昨今の「モノづくりこそ日本の礎」論は、情報産業国家へ脱皮する折り返し地点を通過した結果としての、「工業陣営からの悲痛な叫び」なのかもしれない

情報は、しばしば提供する側が金を負担する。
電報、電話、CM、手紙、ハガキ
支払っているのは、情報提供のための設備使用料である。

情報というものは、あってもなくてもよいものが大部分である。
情報は基本的には無益無害である。
ただ、そのうち少数の部分だけが、それを知っている人間に非常な利益をもたらすことがある。

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