2018年9月29日土曜日

読書メモ:政治、宗教、その歴史

短慮と憎悪に基づく意見は、常に最も粗野なシンボル(例:愛国心、かわいそう、もったいない)の助けを借りて大衆に訴える事が出来る。
節度ある意見は、感情的なものに比べ、大衆に対して、複雑で説明することが困難なような理由に基づいている。
特に個々の具体的な物事ではなく、「観念の世界」で大衆の支持を得る競争に際しては、節度ある意見は非常に不利な立場に立たされる。(by ジョージ・ケナン)

民主主義は、「行動を起こす=暖まる」までに時間がかかり過ぎる。

しかも一旦行動を起こすと適正限度を通り越して暴走する、沸騰した熱水が飛び散って回りが大火傷する。(by ジョージ・ケナン)

大衆の人気を得るために、大衆を扇動したり、憎悪、猜疑心および狭量の種を撒くこと自体が、犯罪である。これらは民主主義に対する裏切りの犯罪である。(by ジョージ・ケナン)


政治家、評論家、宣伝家(=メディア人)、、彼らは人気集めの能力によって生活している。もし沈黙を強要されたら、陸に上がった魚のように悶死してしまう。(by ジョージ・ケナン)
アメリカ外交50年史(https://www.amazon.co.jp/dp/4006000308/ref=tsm_1_fb_lk

日本人は、観念の世界で物事を思慮判断する能力が非常に低い民族である。(by キッシンジャー)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

百年戦争時代
イスラム教社会は、キリスト教世界が9世紀~13世紀に経験した「分裂、混乱、群雄割拠」の中世時代に突入したと判断している。
昨年来、中東&北アフリカ百年戦争時代と書いているのは、そういう意味だ。
下記は、2013年のブログで、多少の間違いはあるかもしれないが、参考にはなるかも
http://blog.livedoor.jp/okane_koneta/archives/51770339.html



一神教同士は決して妥協しない。
相手の神を認めないから、一神教たりえるのだ
宗教とは、まさに「それ自体が文化」である

お金、経済に関する争いなら妥協できる。要は、金で解決する、ということだ。
宗教や民族問題がからむと、妥協が困難だ。特に一神教が関係する争いでは、ほぼ妥協は不可能だ。
世の中、お金で解決できる問題は、簡単な事なんです。


~~~~~~~~~

イスラム教の恐ろしいところは・・・・・
1:一人でもイスラム教徒がいる場所があれば、
2:その地の統治者に対して、「そのイスラム教徒がイスラム教徒として正しい宗教生活ができるように環境整備(モスク建設、ハラール食材の提供)」を
3:世界中のイスラム教徒が一団となって要求する義務がある
4:その地の統治者が要求をのまないなら
5:世界中のイスラム教徒が一団となって、武力で戦う義務がある
・・・・という過激な思想を、表立って誰も否定できないことだ

~~~~~~~~~
現在の中東アフリカ100年戦争も、全員が疲れ果てるま
で続き、
もう疲れたという気持ちが、ようやく和平に向かわせるのだろう



国際秩序 byキッシンジャー
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4532169763/ref=oh_aui_detailpage_o01_s00?ie=UTF8&psc=1

下の絵は、サン・バルテルミの虐殺(1572年)

パリ市内のユグノー(プロテスタント)が対立していたカトリック教徒によって多数殺害された時の絵
https://ja.wikipedia.org/wiki/サン・バルテルミの虐殺



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

キリスト教、共産主義(特にマスクス経済学)、ピケティ理論
これら3者は、全部宗教だと思う。
3者とも、心のケアは可能だが、日々の生活という経済面をケアしてくれない。
3者とも、強い経済主体に寄生する、付加価値を生んでいる人から収奪する、という考え方で共通している。
3者とも、強い経済主体や付加価値を生んでいる人が消えると、自分も「生きらない」し、信者に「施せない」という根源的な欠陥を持っている。

まさに血税
これが封建社会



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
政治制度に関する人類の歩み
16-17世紀は、キリスト教主義と戦った。
20世紀は、共産主義と戦った。
21世紀は、イスラム主義と戦うのだと思う。
べき論との戦いに、人類は最終的には勝ってきた
21世紀も、勝つだろう
結果を見ることは、春山にはできないだろうが


0 件のコメント:

コメントを投稿