資産運用は、マラソン100回みたいな超長期のレースなのだと思う
幸運の連続の次期もある
何をやってもチグハグの時もある
苦しいと藁をもすがりたくなる
そういう時でも、春山は一個だけ決めている。
後講釈的な理論整然とした「*+*だから上がったのです」とか「**++だから下がったのです」という後講釈の評論家に耳を貸さない。
ポジションを持つと、役に立つデータも不十分な手探りの状態で「51:49」の中から、迷いながらも51を選ぶ作業に毎日直面する。
後から分かっている奇麗なデータを見て、「*+*だったから、+*+」という講釈は実戦には役に立たないのだ。立たないばかりか、時間の無駄になるのだ。
苦しくても後講釈を聞かず、明日を考える
一寸先の光を信じて!
藁では資産は浮かばれないのだから
2018年10月30日火曜日
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後講釈は現状把握で、現状把握しなければ、明日を考えられないのでは?
返信削除また、後講釈は自分の考えのレビューで、レビュー(反省)無くして進歩はないのでは?