2017年12月16日土曜日

物々交換が生んだ「ツケ」の効用

順番は、物々交換 → ツケ・信用 → 貨幣

(1)信用は、物々交換の時代から存在した
自給自足社会では、取れ過ぎた農作物、魚、動物が生じたときには「余剰」が生まれた。
当時の技術では、その多くは長期保存が不可能だったので、余剰物は当初は廃棄された。ししかし徐々に、他の集団の余剰物との交換に使われるようになった。

当初の物々交換は、山の民が動物の肉や毛皮などを交換場所に置き、その後一旦はその場から離れた。
その後に海の民がやってきて、魚や貝を交換場所において肉や毛皮を持ち帰る形式だったと言われている。

モノが交換されるまでの時間差という信用リスクは存在した。
何も置かずに持ち去る行動(=裏切り)は、その後の交換経済からの追放を意味した。だから、一回だけの裏切り利益で将来を棒に振る民は少なかった

獲物や作物が無い時は交換で得られるものを諦めるのが通例だが、どうしても欲しい場合は、相手に「次回の埋め合わせを約束(=ツケ)」してモノを得ることが自然発生的に始まった。
ここでも、裏切りは交換経済からの追放を意味した。
一回だけの裏切りで将来を棒に振る人は少なかった。
 



(2)ツケが増えると、それを記録する欲求が生じた
大きな石にツケの内容を刻む
珍しい貝殻をツケの量に応じて相手に渡す
様々な工夫がなされた

まずはツケ(=信用)が生まれ、次にそれを「記録する何か」が必要になった、という順序だ。
ツケを記録する「何か」は、
1.目に見える物体、2.量や期日が認識できる形式、3.多くの人が認める形式
という基準を満たすなら、何でもよかった

巨石、貝殻、木片、それらが発展して証文(粘土板、パピルス、紙などに記録された数字&文字に発展した。

(3)貨幣の独立
金、銀、銅が豊富に産出されるようになると、それらの重さ(金10gという形式)がツケを置き換える基準になった。
同時に、それらを支払いの対価として、ツケとは無関係に使用されるようになった。
金銀銅と様々な商品との交換比率が市場を通じて形成され、それを多くの人々が容認したからだ。
金銀銅の支払いの対価としての使用は、人類の歴史で見ればごく最近のことであるが、現在の貨幣制度につながる重要な発明工夫だった。

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