2014年5月12日月曜日

自由と平等の放棄

資本主義は、

1:生まれた時から拡大的、もっと大きくなろうとする。globalizationは竹馬の友

2:国境を越えて自己目的を実現する生き物。それは、より少ないインプットでより多くのアウトプットを目指す。効率化はその本能

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国境の内部で、資本主義と民主主義が同居している間は、
民主主義が、nationalism、populismに染まっても、資本主義が国家資本主義に変質するだけで、被害者にはならない。
国家(=政治)が、資本主義を支配することを通じて、民主主義と資本主義の決定的な離婚を回避させる役割を果たす。

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国家間の経済の水平分業的が増加し、経済的な相互依存状態が増した現代においては、
国家(=政治)が、資本主義を支配(特に海外企業を締め出す)する事ができなくなる。海の向こうで活躍するのは自国籍企業なのだ。

より少ないインプットとは、より少ない労働・資本・インフラ・コストを求める資本主義は、先進国の低付加価値労働者の需要を抹殺する。

先進国の低付加価値労働者は民主主義の多数派である。

民主主義が、nationalizm、populismに染まる時、
国家(=政治)は決定的な離婚を回避するべく強権発動をする事ができない。
資本主義も、もはや国家資本主義に変質することは不可能なほどの巨大生物に育っている。

仲裁者が消え、仲裁者が民主主義に加担する状態では、
国家(=政治)+民主主義 VS global資本主義
という戦いの構図にならざるをえない。

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この閉塞感から脱出するには、
民主主義も、資本主義も、globalな状況に適合すべく、脱皮することになる。
脱皮とは譲歩である。現状有している物を一部放棄することだ。

民主主義の譲歩は、平等の一部放棄だ。
資本主義の譲歩とは、自由の一部放棄だ。

民主主義とは、一人一票が必須ではない。
資本主義とは自由が必須ではない。

自由と平等は完全無欠にして侵さざるべきもの、、複数で生きる時代では「過ぎ去った夢」である。

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