あなたが「当然の正義や正論」と思っている事は、「あなたが思う正義や正論」であって、
隣町に住んでいる人には、あなたと少し異なる「彼、彼女らの正義や正論」がある。
ましてや隣国や他民族、他宗教の人々は、あなたとは明確に異なる正義や正論を持っている。
価値観、考え方、習慣、生活環境、富裕度、生きている時代、これらの後天的なファクターが各自の正義や正論を作り出す。
そこに100万人いれば、100万通りの正義や正論が存在し、100万個の正義や正論は、相互に影響し合い、相互に少しずつ変化をし続ける。
交流の少ない島国住民の正義や正論は類似しており、バラつきが少ないのも当然だし、他民族が群雄割拠する地域では様々な正義や正論が並存しバラつきが大きいのも当然の帰結だ。
国際政治の交渉事とは、まさに異なった正義や正論を持つ他人との交渉だ。
だから、自分の考える正義や正論を振り回しても効果が少ないばかりか、逆効果でもある。
相互不信が高ずるばかりだ。
また、時間が解決する、と考えるのは正反対で、黙って時間が過ぎれば「実力行使の結果、実効支配の現状を容認」したと看過されるのが、国際政治のルールだ。
反対であれば、明確に異を唱えなければ、他人には伝わらない。
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似たような事だが、良い製品という概念がある。
良い製品なのに売れない、と不満を述べる人、企業は多い。
上記の正義ら正論の話を読めば理解できるように、
良い製品とは、不満を述べている人や企業にとっての良い製品であるが、
彼らが売りたい対象顧客にとっては、良い製品では無いのだ。
良い悪いは、正義や正論と同様に、価値観、考え方、習慣、生活環境、富裕度、生きている時代、といった後天的なファクターに依拠している。
対象顧客のほんの半歩先を行く製品なら、少しだけ待てば売れ始める。
しかし、二歩も三歩も先を行き過ぎた製品なら、なかなか顧客は理解できないし、
そもそもオタク程度の少数しか「良い」と思わないものは、永遠に待っても少量しか売れない。
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