2020年1月7日火曜日

特集目次:イラン VS US(2019年12月~2020年1月)

年末年始のイラクでの騒動は「イランVSサウジ」の代理戦争「スンニ派VSシーア派の8世紀以降の1300年の派閥抗争」です。

その背景、これまでの事件、2020年代の想定などを正月休みに熟慮して書いてみました
また、今回の事件の周辺領域も理解していた方が良いと思うので、2013年に書いたブログを紹介します


1:2020年1月4日:緩衝地帯としてのイラク
2:2020年1月4日:弱すぎるサウジ
3:2020年1月5日:「敵の敵は味方」の失敗
4:2020年1月6日:「サウジ&USの敵はアサド政権(シリア)、アサド政権の敵ISILはサウジ&USの味方」という作戦の失敗
5:2020年1月6日:国家意識がないから民兵が主役
6:2020年1月6日:毒を持って毒を制す作戦? 困ったサウジがISILに援助を再開?


日本、韓国、中国が地理的に近い関係であり、未来永劫に変えられないのと同様に、サウジ、イラン、イラクの地理的な位置関係とスン二派、シーア派という宗派も変わらない


スンニ派のリーダーは当初はエジプトだった。現在はサウジだ。
しかし、2020年代にイラクを巡る紛争でイランとサウジの両国が疲弊すると、エジプトが再び浮上するかもしれない。虎視眈々とオスマン帝国が復活することを夢見ているトルコかもしれない
エジプトの栄枯盛衰を振り返っておきたい

以下は、エジプト、アラブ、欧州、USに関して2013年6月~8月に調べたことをレポート化したものです。
下記写真のA3×3枚のメモ書きを文章化しました。




2011年2月のエジプトの騒動の記録
記録としてのエジプト +US金利の動き 

中東問題の根本
1:宗教は人間から理性を奪う、良し悪しの判断を別にして
偶像崇拝を禁止している宗教ですら、聖地にはこだわる、仮にその場所が後年の作り話であったとしても
2:宗教は妥協を許さない、特に一神教は、その性格ゆえ何故そんな些細なことでと思われるような原因で、何回も戦争している。
聖なる場所の奪い合いなど、その最たるものだ。
3:宗教は、生後に習得するものだ。一卵性双生児を、生後に、別々の土地で、対立する宗教のもとで育てれば、壮年になった二人は妥協のできない対立をする。 
4:そろそろ人類は、宗教を一定の枠の中にはめる規制を持つ必要とする時期もしれない


イスラエルは、USとロシアの共通の利益
イスラエルに移住したユダヤ人は旧ソ連からも多い、USには強力な支援団体がある。
それゆえ、シリアとエジプト問題に関して、USとロシアは決定的な利害対立には陥らない。

 2011年依然に書いた中東関係の特集目次です
目次 : アフリカ中近東

その他中東に関する過去ブログ
2016年8月8日:中国とイスラム過激派:キッシンジャーの遺言
2016年11月2日:2017年を考える_1 : 中東
2015年6月27日:目次 : 地政学リスク

2020年1月6日月曜日

毒を持って毒を制す作戦? 困ったサウジがISILに援助を再開?

今回の騒動の発端はカタイブ・ヒズボラ(KH)の著しい伸長
事の始まりは、2019年12月27日にイラク北部キルクーク近くの米軍基地がロケット弾攻撃を受け米軍事企業の米国人1人が死亡、米兵4人が負傷したことだ。
その報復措置として、米軍は2019年12月29日に複数のカタイブ・ヒズボラ(KH)の拠点を攻撃したのだ。
(参考:https://www.afpbb.com/articles/-/3261734


それを受けてイラン+イラク政府(シーア派)+カタイブ・ヒズボラ(KH)は、テヘランの米国大使館を包囲して示威行動をした
参照:https://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2020/01/02/iraku-kataibuhizuboragazai-irakumi-da-shi-guan-qian-karache-tui-1333131



示威行動が一旦は収束と思われた直後に1月3日の米軍によるイラクのソレイマニ司令官とカタイブ・ヒズボラ(KH)の指導者と言われるムハンディスが殺害された。
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その後、
イラン+イラク政府(シーア派)+カタイブ・ヒズボラ(KH)が、外国軍部隊の国外撤去を要求している。正規の外国軍隊に対する撤退要求であり、それは米軍だけである。
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今後の予想は国際政治の素人の春山には予想が困難だが、スンニ派の武闘勢力であるISILがイラクから排除された現状では、イラク人の民兵組織カタイブ・ヒズボラ(KH)を米軍が殲滅することは不可能だろう。
イラク国民の多数派はシーア派であり、その武闘派民兵組織のカタイブ・ヒズボラ(KH)を支持しているからだ。
ベトナム戦争のベトコンに負けた米軍という構図が再現されるかもしれない。

正規軍は民間人の恰好をした神出鬼没の民兵には勝てないのだ。
そして、正規軍の武器は小型の移動式のミサイルや小型のドローン攻撃には対応できないのだ。

こういう状況で困るのはサウジだろう。サウジには国を守ろう、外国の軍隊を排除しようという強い意識を持った民兵はいない。
毒を持って毒を制するという作戦で、ISILへの援助を再開して、イラクに侵入させる、、そんなシナリオもあるかもしれない。

ちなみに、ISILの指導者バグダーディーは2019年10月26日に米軍によって殺害されている。
バグダーディーに関しては、ここwikipediaをご覧ください



そうなれば、イラクは内戦になる。
スンニ派のISILとシーア派のカタイブ・ヒズボラ(KH)が戦闘状態になるだろう。
そうなれば数年間の内戦だろうから、内戦の収拾が見込めない状況判断から米軍は撤退するだろう。
中東アフリカ100年戦争の第二フェイズに突入するのだ。

中東原油が減少して困るのは、中国、日本、韓国などアジア諸国だ
米国は中国が困る状態は歓迎するかもしれない。
米国はエネルギー資源の輸出国になっているから、中東原油の減少の影響をほとんど受けない国になっているのだから。

無論、テンションが高まった時に、US+イランの劇的な和解もあるかもしれない。
国際政治は何がどうなるか不確定な要素が多いのだから。

国家意識がないから民兵が主役

中東の多くの国では国家や国民という意識が低い。部族あって国家無しと言われている。
それは国の軍隊にも反映されている。軍隊が真剣に国家を防衛するという意識が低いと、国民は自衛の意識が高まる。その結果、自衛のための民兵組織が堂々と存在することになる。

イラクに関係する主だった民兵組織を紹介すると・・・・

1:
マフディー軍
そのムクタダー・アッ=サドルを指導者とする民兵組織マフディー軍だが、2003年6月頃から活動を始めている。シーア派イラク人で構成されており、イラクに駐留している外国軍の排除とスンニ派武装勢力と対抗する事を主眼としている

イラクに駐留した米軍との戦闘で疲弊し、多くはイランに逃亡した。その後は、先日米軍に殺害されたソレイマニ司令官指揮下のクッズ部隊(Quds Force)に同調して活動していると思われる。

マフディー軍に関しては、ここwikipediaをご覧ください
ムクタダー・アッ=サドルに関しては、ここwikipediaをご覧ください


2:レバノンのヒズボラ
1982年に結成されたレバノンのシーア派イスラム主義の政治組織&武装組織
ヒズボラ指導部は、イランのアヤトラ・ホメイニの薫陶を受け、その部隊はイラン革命防衛隊から訓練を受けて組織された
少数の民兵組織から始まったヒズボラは、レバノン議会に議席を有し、ラジオ・衛星テレビ局を持ち、社会開発計画を実施する組織へと発展を遂げた。
先日のソレイマニ司令官を受けて米国とその仲間に対するテロ実行を表明している。
ヒズボラを紹介したのは、レバノンのヒズボラがイランのシーア派の民兵の訓練機関になっているからだ。

ヒズボラに関しては、ここwikipediaをご覧ください

3:カタイブ・ヒズボラ(KH)
2007年後半に,三つのシーア派組織が,イラクに駐留する多国籍軍の排除などを目的として合併・設立したとされるシーア派組織である。組織設立に際してイラン革命防衛隊の支援(イランのKHを育成指導していたソレイマニ司令官は2020年1月3日、米軍によって殺害)を受けたほか,レバノンの「ヒズボラ」からも支援を受けているとされる。

最高指導者は,アブ・マフディ・アル・ムハンディス(2020年1月3日、米軍によってソレイマニ司令官と同時に殺害された)とされ,勢力は,3万人以上(2014年12月時点)と自称している


カタイブ・ヒズボラ(KH)に関しては、ここ公安調査庁をご覧ください



1月3日に米軍が実行したソレイマニ司令官とアブ・マフディ・アル・ムハンディスの殺害「このままではイラクはイランの傀儡国家になってしまい、シーア派とスンニ派の緩衝地帯という米国の国際戦略が瓦解する」と判断したからだろう

「サウジ&USの敵はアサド政権(シリア)、アサド政権の敵ISILはサウジ&USの味方」という作戦の失敗

ISILは2006年に活動を始めた「スンニ派過激派組織」だ
詳細は、ここwikipediaを参照してください

US: 憎きアサド政権を痛めつけるなら、ISILに資金と武器を援助しよう
サウジ:国内のイスラム純粋過激主義者がサウジ王族の堕落に反発して国内で騒動を起こされるのは困る。憎きアサド政権を痛めつけることに加担するなら「渡りに船だ」から、彼らをシリアに送り込んでISILに参加させよう。

ISILがシリア国内で活動するうちは良かったが、US&サウジの思惑はあっと言う間に裏切られてしまった



ISIL(スンニ派)は怒涛の勢いでイラクに侵入し、イラク国内の少数派スンニ派(多数派のシーア派に色々と痛めつけられている)の暗黙のサポートで首都バクダット近郊まで迫った。
イラクの軍隊は軍隊の体をなさないレベルであり、ISILの進行を食い止められない。米軍は2011年12月に一旦は撤退していた。このまま放置すればイラクはスンニ派に占領されてしまう。

事ここに及んで、USは「イラクをシーア派とスンニ派の緩衝地帯にする」という国際政治の目標が破たんすることを認識した。

ISILへの資金と武器を援助は180度変わって、彼らを攻撃することになった。
米軍は一旦はイラクから撤退していたので、ISILを殲滅するためのイラク政府の要請を受けた有志連合という形式をとって、2014年に米軍はイラク各地の基地に再度派遣された。約5200人が駐留しているようだ。

2015年以降のISIL掃討作戦(最も活躍したのはクルド人の民兵組織だが、何かの見返りを期待したことは確かだろう)で相当程度にISILは弱体化した。
しかし、オバマ政権時代に「アサド憎しに目がくらんでISILに武器と資金を提供した」誤った政策決定の後始末は大変な労力と資金を浪費してしまった。

ISIL関連で露呈したのは、正規軍の弱さ民兵組織(過激派、武闘派)に武器と資金を援助する中東各国のコロコロと変わる短視眼的な行動だ。この民兵組織という事がイラクに関しては重要なのだが、それは次回で・・・

2020年1月5日日曜日

「敵の敵は味方」の失敗

敵の敵は味方、という作戦は古今東西で使われてきた。
敵が憎いがゆえに、敵の敵の素性やその後の後始末などは後回しにしたり考慮せずに「敵の敵を利用する」という短視眼的な費用対効果で敵の敵に武器や資金を援助してしまう。

米国の軍事行動もその例外では無かった。
最初は、1980年代の話・・・イラクのサダム・フセインイラク国内の少数派スン二派)に武器と資金を援助して、イランとの戦争を遂行させた



1978年のイラン革命で樹立されたイスラム共和国は、パフラヴィー朝(アメリカの傀儡政権)を打倒し、翌年の1979年11月にはイランの米国大使館人質事件が起こり、米国は1980年4月に国交断絶しイランに対して経済制裁を発動した。
その翌年1980年、国境をめぐってイランと対立していたイラク(サダム・フセイン大統領)がイランに侵攻、イラン・イラク戦争が始まった。
イラクが負けて、イラクの産油地域が脅かされたり、イラン革命が周辺アラブ国家に輸出されることを懸念した米国はイラクに軍事支援を行った(敵の敵は味方、イランの敵であるイラクは味方)

イランイラク戦争に関しては、ここwikipediaに詳細があります。
米国大使館人質事件に関しては、ここwikipediaに詳細があります

そのサダム・フセインの後始末は大変でした
イラン・イラク戦争中に、イラク北部ではイランと同盟を組んだクルド人勢力が、サダム・フセインに反旗を翻して武装闘争を開始した。イラクと対立していたシリアもイランを支持(=敵の敵は味方)し、シリア経由でイラク原油を欧州に送るためのパイプラインを停止した。

そのためサダム・フセインは、クルド人に対して化学兵器を用いて大量虐殺を実施したが、それが人権団体により暴露されて欧米との関係が悪化した。
そんな中、戦後復興のために石油価格の上昇による石油収入の増大を狙っていたサダム・フセインに反対して増産&価格下落に加担したクウェート(イラクは「クウェートは元来イランの領土だと考えている」)にサダム・フセインは軍事侵攻した(湾岸戦争)

湾岸戦争の詳細は、ここwikipediaにあります
イラク戦争の詳細は、ここwikipediaにあります。

そしてその数年後に「大量破壊兵器保有疑惑」を理由に米国によって仕掛けられたイラク戦争後にサダム・フセインは逮捕され、2006年に処刑された。

処刑の場にサドル師派(=イラクのシーア派民兵組織のリーダー)の関係者がいた。シーア派住民の多くは、処刑時に憎いサダム・フセインに「地獄に落ちろ」の言葉が投げつけられたことに留飲下げただろうと言われている。
参照:http://www.asahi.com/international/kawakami/TKY200701090200.html


その後の米国が」採用した「敵の敵は味方」作戦はISILですが、次回に・・・

2020年1月4日土曜日

弱すぎるサウジ

スンニ派の親分=サウジという状態は最近のことだ。
少し前まではエジプトだったが、2010年のアラブの春、エジプト革命でムバラクの強権政権が崩壊し、その後の政治と経済の混乱&弱体化で盟主の地位を名実ともにサウジに譲ってしまった。
その辺の経緯はブログ(宗教の呪縛から抜け出せないムスリムたちの国々)に書いているのでお読みいただきたい。

また中東の警察官の地位は、第二次世界大戦までは英国だった。
覇権の行使は経済的に大幅な持ちだし(=財政負担)であるが、第一次&第二次の世界大戦で疲弊し、植民地も失った英国にはその負担が不可能になってしまった。
そして、第二次世界大戦後にその警察官の地位をひきついだのが米国だった。

その米国もベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争という長期の巨額の財政負担を経て、負担の縮小フェイズに移行せざるを得なくなった。
その縮小が正式に決定されたのが、ブッシュ政権時の2006年1月の一般教書演説だった。


上記は、「7:アメリカの中東政策の推移は?」より抜粋コピペ

その後の推移を見れば
1:米国内のシェール・ガス&オイルの開発により、米国は2019年にエネルギー資源の輸出国になっており、中東オイル依存を脱却した。
2:イラクをイランの傀儡政権国家にしない(=シーア派とスンニ派の緩衝地帯にする)ための軍事的な活動をシリアとイラクで実施してきた。
その最新行動が2020年1月3日のソレイマニ司令官の殺害だが、これも「緩衝国家イラク」の維持の一連の流れとして続いている。

その過程で露呈した難点は「弱すぎるサウジ」という現実だった。
金持ち国家だが、戦争を遂行する実力を持たない国家、米軍がいなければ金持ちは全員が国外に脱出し、サウジは無秩序の混乱に陥ると推定される状況なのだ。
全く働かない王族が約2万人もいて財政負担は大きい。しかも人口の増加により原油収入を庶民にバラまいて王族の支配を正当化する毎年の財政負担も、200ドルを超えると想定された原油価格の反落の過去10年によって怪しくなってしまった。



そんな状況の中で、オバマ政権、トランプ政権が必要最小限の軍事的な活動をシリアとイラクで実施してきた。
それが2019年、2020年も続いているのだが、それは次回に・・・・